古民家を再生して新しい店舗に。
「刻の美術館」誕生秘話
お話をお伺いした方
社長室 リーダー 渉外・県外外商担当(現在)
頓宮義記
2009年入社
岡山県出身
2014年にオープンした倉敷雄鶏店の「古民家再生プロジェクト」は、どのように始まったのでしょう?
頓宮:この建物は、築100年以上の民家です。昭和50年からは、あるご夫婦が長らく「雄鶏書房」を営んでいました。廣榮堂も自社の和菓子を置かせてもらい、販売員が常駐するかたちでお付き合いが続いてきました。2012年に先方から事業を引き継ぐことになり、そこで家主さんともご相談しながら、この建物を活かしたリニューアル構想がスタートしました。
廣榮堂 倉敷雄鶏店
2014年オープン。明治時代の民家を再生した空間で、和菓子販売とカフェ運営を行う。アーティスト 山口敏郎氏が同店のために手がけた作品群も展示され、彼とオーディオ・マエストロ 是枝重治氏が共創した光るクラゲ型のスピーカーが優しい音色を奏でる。2階はギャラリー展示などのイベントスペースとして活用。
大変だったことと、やりがいを感じたことを教えてください。
頓宮:両方に通じますが、もとの建物やその歴史を活かしつつ、いかにこれからの廣榮堂を支えるお店にできるかという部分ですね。このお店がある倉敷美観地区は、江戸時代は天領(幕府の直轄領)でもあった歴史ある一画です。その街並を保存するために、建物の外観については市の景観条例で厳しく制限されています。建物の外観を残したまま、いかに新しい店舗として再生させるか。このプロジェクトは廣榮堂にとって大きな挑戦でした。
倉敷美観地区
いまも古い白壁が並ぶ町並は当時を思わせ、柳並木のあいだを流れる倉敷川に結婚式の新郎新婦をのせた小舟がゆく光景も。大原美術館や倉敷民藝館、またレトロモダンな喫茶店や、当地名産のデニムや帆布を扱う店が集い、和洋・古今が融け合う。倉敷川畔は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
どのようなチームで担当したのですか?
頓宮:本社だけでなく、営業や販売など、部門を越えたチームが構成されました。私も当時、倉敷美観地区の営業担当だったことから、参加することになりました。そこには、新しい店舗づくりにそれぞれの現場の声を反映する狙いがあったと思います。さらに、古民家再生に詳しい建築家と工務店、アーティスト、音響の専門家など多くの方々のご協力があり、私は主に、会社とこうした社外の皆様との調整係を担当しました。
具体的には、どんなふうにプロジェクトが進んでいったのでしょう?
頓宮:まず、もとの建物に加えて隣の民家も合体させ、店舗面積を2倍に広げることが可能になりました。設計は、古民家再生の実績が豊富な建築家・大角雄三さんにお願いしました。さらに岡山県出身でスペイン在住アーティストの山口敏郎さん、オーディオ・マエストロの是枝重治さんにも加わっていただき、新店舗のコンセプト「刻(とき)の美術館」をもとにアーティストとコラボレーションするかたちで進めていきました。
和菓子店のコンセプトに「刻の美術館」を選んだわけは?
頓宮:これは現社長の発案で、「この場所でお客さまに特別な時間をすごして頂きたい」また、「皆さんと一緒に大切な時間をつくっていきたい」との想いから生まれました。菓子販売とカフェ運営という基本形が決まった後、核となるコンセプトづくりに時間がかかりました。しかし、あるとき北海道・富良野に出張し、「森の時計」という喫茶店を訪ねた際にひらめいたそうです。「優しい時間」というドラマにも登場したお店で、私も同行したのですが、まさにそういう時間が流れる空間だったんです。
そこから、プランはどう広がっていったのでしょう。
頓宮:大角さんが生まれ変わらせた古民家の空間に、山口さんによる時間や記憶をモチーフにした作品が加わり、さらに山口さんと是枝さんの共同制作で、LEDで七色に変化するくらげ型スピーカーも加わりました。一方で、実際に改装を進めていくと、老朽化した大黒柱を取り替えるしかない、など予想外の試練も数多くありました。しかし結果として、歴史が刻まれた立派な梁(はり)と新しい大黒柱が重なる様子は、過去・現在・未来をつなぐ連結装置のようにこのお店を象徴するものにもなったと感じます。
なおこれに先立ち、岡山市の廣榮堂本社前には、やはり古民家を活かした藤原店が生まれています。こちらはどのように実現したのでしょう。
廣榮堂 藤原店
2007年オープン。築150年の古民家を移築・再生した。かや葺き屋根を銅板で覆い、天窓から自然光を取り入れるなどして、単なる「古き良き時代の再現」ではない「現役空間」に。木の彫刻家・榎本勝彦氏による手彫りの大テーブル、石の彫刻家・寺田武弘氏の彫刻が映える中庭、倉敷雄鶏店にも関わる山口敏郎氏のステンドグラスも、安らぎと憩いの場を生んでいる。
頓宮:当時、新工場設立などで生産性が向上した一方、従業員のコミュニケーション不足などが課題になっていました。そこで、本社に隣接していわば家族経営のたこ焼き屋のような手作りの良さとチームワークを体現するお店を、つくることになりました。同時にここは、地元の皆さんに感謝の想いを伝える、親しみやすい場にしたい――そこで、ご縁があって入手した東粟倉村(現・美作市)の古民家を「~悠~手づくりの時間と空間」をコンセプトとして再生する挑戦がなされました。現地で一度解体後、輸送し、再度組み上げる手法をとっています。前述の大角さんや山口さんにも参加頂き、これが後の倉敷雄鶏店につながったともいえます。
両店舗とお客さまの関係を、いまどう感じていますか?
頓宮:倉敷雄鶏店の仕事では、空間・音・接客などすべてが、お菓子を楽しむ体験につながるのだと実感できました。お客さまに自由に書き込んでいただけるノートを用意していて、そこに綴られたことばや描かれた絵をみるたび、改めてそのことを思い、嬉しくなります。藤原店については、私は入社前で店舗づくりに直接関わってはいませんが、今後も地元の方々に愛される地域コミュニティ再生の場として育っていけばと願います。どちらにも共通して感じるのは、そこで大切にしている想いを言葉だけでなく、多面的にお客さまに伝えることの可能性でしょうか。
今後の目標を聞かせてください。
頓宮:現在は社長室勤務で、主に取引先や提携先とやりとりする渉外業務を担当しています。お菓子を通じて幸せな時間をみなさまに届けたい、共有したいというのが廣榮堂の大きなテーマです。そのためにもお客さまと直接お会いできる直営店は重要で、インターネット販売であってもお礼の言葉を綴ったお手紙を添えるなど、その想いは引き継がれています。さらに、和菓子を世界中に広げたいとも願っています。2014年の12月に「元祖きびだんご」など8商品が、イスラム教の方でも安心して食べていただける「ハラル認証」を取得しました。また、昨年から私も東南アジア展開を目指した現地調査に参加しています。きびだんごを配って仲間を増やしていった桃太郎のように、和菓子の魅力でより広くつながる世界をつくりたい――そんなふうに思っています。